日日是好日

徒然なるままに日暮らす一凡夫が綴る 世界と日本の宗教とその周辺のお話

禅的一元論について

仏教、特に禅宗では、我々が生きるこの世界は「ただの一つのもの」即ち「一如」と呼ばれる一元的存在から成り立っていると考える。この「一如」とは、具体的には「我々人間を含むあらゆる生きとし生けるもの(衆生)がその成立の基盤としてのいる究極的な意味での<全宇宙>」を指す。

そして<全宇宙>は<ほとけ>に満たされているが故に、全ての人間はブッダに従えばほとけの境地(さとり)に至って、静かな安らぎの世界で永遠の平安を得ることができる(涅槃寂静)という教えに帰結する。

日本曹洞宗の開祖、道元禅師は『正法眼蔵』第三「仏性」の巻で「尽界はすべて客塵なし、直下さらに第二人あらず」とおっしゃっている。

その意図するところを敢えて文字にすれば、

「この世界の全ての存在には(主体と無関係に存在する)「客体」などというものはは存在しない。全ての存在は <全宇宙>の采配によって生起したもので<全宇宙>の一部であるから、≪私≫も≪第二人(他者)≫も同じく<全宇宙>そのものであり、同じく<ほとけ>そのものなのである」

とでもなろうか。

*結論*

ブッダに従って修行すれば、人間は誰でもさとりを得て涅槃寂静(煩悩や苦しみの一切ない安らぎの境地)に至れます!

だから君も一緒に坐禅しましょう!

坐禅の修行によって、自分も他者も、すべては<全宇宙>を通して究極的には一つのもの(同じもの)であるということに気がづいたのなら、他人や動植物や無生物に対しても思い遣りと優しさを持って接することが出来ますよね!

それができればしめたもの。

この娑婆世界がほとけに満たされた平和で平安な国になるのだから。